military.comによれば、オース・キーパーズ(Oath Keepers)の創設者、スチュアート・ローデス(Stewart Rhodes)は、退役軍人の支援グループを運営していたとされますが、現実には危険な民兵グループを運営し、準軍事的組織の指導者になりたがっていたと、元メンバーが火曜日に1月6日の連邦議事堂襲撃を調査する下院調査委員会に証言しました。
グループの元広報だったジェイソン・ヴァン・ターテンホーブ(Jason Van Tatenhove)は証言において、ローデスが当時の大統領、ドナルド・トランプ(Donald Trump)が、ローデスとオース・キーパーズが権力を握る武力革命の口火を切るために、兵士を国内に派遣することを認める法律、反乱法を発動することをどのように望んでいたかを説明しました。
公聴会は、トランプがジョー・バイデン大統領をホワイトハウスに据える選挙結果を覆そうとするときに、オース・キーパーズとプラウド・ボーイズ(Proud Boys)の過激主義グループを含むトランプ支持者らが議事堂に対して2021年に暴力的な攻撃を行ったことについての下院の「1月6日調査委員会」で最新のものでした。ローデスとメンバー10人はバイデン(Biden)の当選の後の平和的な政権移行を止める計画に関連した連邦反乱罪で起訴されました。
攻撃に先立ち、ローデスは絶えず彼が大衆の目の中でやっていたことを正当化する方法を探していたとヴァン・ターテンホーブは言いました。メンバーの中にある反ユダヤ主義のために、彼は最後にグループを去ったと証言しました。
ローデスは「コミュニティの即応チームであれ、非民兵であれ、教育的支援チームであれ、退役軍人支援グループであれ、民兵ではないという虚飾で覆うことを模索して、彼はやっていることを常に正当化する方法を探していました。しかし、我々はそれが何であるかについて。この不誠実で気取った言葉を手に入れていたのです」とヴァン・ターテンホーブは言いました。「御存知のように、彼は民兵の指導者です。彼は準軍事的組織の指導者になる大きな展望を持ちました」。
ローデスを含む起訴されたオース・キーパーズの5人は軍隊経験がありました。
1月6日の委員会と連邦起訴によれば、過激主義グループは、トランプがワシントンで、武装した支持者に議事堂へ行進するよう呼びかけた1月6日の演説を含めて、平和的な権力移行を拒否する大規模なデモを呼びかけたあとの議事堂襲撃で主要な役割を演じました。
下院委員会は元トランプ政権当局者から、2020年11月の後、元大統領が選挙結果を覆すために様々な失敗した試みを行い、最後に選挙の認定を中断させる方法として怒れる支持者と過激主義グループに頼ったという証拠と証言を明らかにしました。
委員会によれば、トランプのほとんどの顧問は、選挙人がバイデンが大統領当選者に指名し、数十件のトランプの法的異議が却下された12月中旬に、選挙結果に法的異議を出すいかなる機会も終わったと感じていました。
連邦検察官らローデスとオース・キーパーズの仲間が議事堂に突入する計画を企て、数週間訓練を行い、彼らがバイデン就任を妨害するためにワシントンに終結したとき、紛争が予期できる地域に重装備の緊急対応部隊を派遣したと主張します。
グループのメンバーは1月6日の攻撃のビデオ映像で、トランプ支持者の暴動の群衆を軍隊で使われる「スタック」隊形で通り抜けて議事堂に近づくのが見られます。
元代表のエンリケ・タリオ(Enrique Tarrio)過激主義のプラウド・ボーイズのメンバー5人は、6月に反乱謀議罪で起訴されました。タリオを除く起訴されたメンバー全員は退役軍人でした。連邦当局は彼らが最初に議事堂警察の列を突き破り、議事堂に突入した暴徒の先陣だったと断言します。
「最初から最後まで可能性がそこにあったために、より多くの殺戮が起きなかったことで我々は非常に幸運でした」とヴァン・テーテンホーブは言いました。「人命の損失は悲劇的でしたが、我々は1月6日にずっと多くの可能性を見たのです」。
空軍の退役軍人、アシュリ・バビット(Ashli Babbitt)は、議員達が暴動に対して立て籠もる下院の議場に押し入ろうとしたときに、議事堂の警備により銃殺されました。攻撃の間に負傷した議事堂警察官は後に死亡しました。警察によれば、1月6日に140人以上の警察官が負傷しました。
元インディペンデント紙の記者のヴァン・テーテンホーブは、モンタナ州でグループと暮らしている間に、ホロコーストを否定するメンバーの議論を目にした後、オース・キーパーズから離れる決心をしたと言いました。
去る前に、ローデスが彼にイラク戦争の間に米兵に渡したトランプカードに似せたアメリカの政治家の顔がついたトランプカードを作るよう求められていたと彼は言いました。これらのカードは軍隊が発行し、最後に捕らえられ処刑されたサダム・フセイン(Saddam Hussein)のような最重要手配人物の写真を示しました。
「スチュワートはその考えに非常に引きつけられ、それに影響されたと私は考えますし、彼は私に異なる政治家、裁判官を含んだトランプカードを、ヒラリー・クリントン(Hillary Clinton)をハートのクィーンにして作ることを求めました」と彼は言いました。「これは私が実行を拒否したプロジェクトです」。
ーーーーーーーーーー
〔私のコメント〕
連日、元トランプのスタッフからトランプに不利な証言が出ていますが、元民兵組織のメンバーからも同様の証言が出ました。
この証言のポイントは、元々、アメリカを守るために認められている民兵組織が過激化して、連邦国家を覆そうとしていたことを示しているということにあります。
民兵組織は、アメリカがイギリスから独立した時に最初に立ち上がった組織です。一般市民が銃を持ち、イギリスの正規兵と戦いました。後に連邦軍が組織されますが、最初に立ち上がったのは市民だという自負がアメリカ社会の根底にあります。そのため、独立宣言でも合衆国憲法でも正規軍より民兵をより評価しています。ここは日本人には理解されにくいところですが、アメリカを理解するためには避けて通れないところです。
今でも、民兵組織は国家防衛のための有力な組織だとされます。しかし、日頃、訓練を積んで、十分な教育を受けているのは連邦軍です。第一、ギャングが民兵組織を作ることも可能なので、犯罪組織の隠れみのになりかねません。そこで、米軍とともに行動する民兵は米軍の規則に従うという法律があるのです。現実的には、軍隊経験者でないと、米軍と行動できる民兵組織の一員にはなれません。
国家防衛の礎であるはずの民兵組織が議事堂襲撃に参加していた、国家転覆を狙ったことが、ターテンホーブの証言の骨子ですから、これはオース・キーパーズとプラウド・ボーイズが民兵足り得ない、それとは別の準軍事組織だということになる訳です。当然、これはトランプが国家転覆を狙ったことも証明します。この点で、ターテンホーブの証言は重要なのです。
2022年07月15日
1月6日の議事堂襲撃と民兵組織
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2022年07月08日
ロシア海軍に未来はあるのか?
military.comがロシア海軍の未来に関する記事を報じました。著者はロバート・ファーレイ博士(Dr. Robert Farley)。2005年からパターソン・スクール(the Patterson School )で安全保障と外交を教えています。
ロシア海軍の命運は尽きたか?
ロシア海軍の未来はどんなものでしょうか?。ロシア海軍の部隊は重要な役割を演じてきましたが、それらの能力は、よくても、まちまちでした。ロシア海軍はウクライナの各地で目標に対して港を封鎖し、ミサイルを発射するのに成功していますが、その最中に、黒海艦隊の旗艦を失い、最も重要な揚陸艦の一隻を失い、スネーク島を支配するのに失敗し、ウクライナ沿岸で決定的な上陸作戦を遂行するのに失敗しました。
ロシア軍は将来において、相当な予算上の制約に直面するでしょう。ロシア経済は今のところは予想以上に経済制裁を持ちこたえていますが、この状況は、特にアメリカが同盟を維持できるなら、長期間持続しそうにありません。現時点で、海軍がそれ自体を維持するのに十分な資源を意のままにできるかは明らかではありません。
ロシア海軍の戦略的展望
戦略的に、ロシア海軍の状況は過去数ヵ月間にわたり大幅に変化しています。バルチック諸国はフィンランドとスウェーデンのNATOへの加盟によって、事実上、ロシアに門戸を閉ざします。想定される紛争において、ロシアの戦闘艦(潜水艦を含め)が即座に破壊される危険なくバルト海を利用することはなさそうです。フィンランドの加盟は北方でのロシアのアクセスをより複雑にして、NATOに弾道ミサイル艦隊を含む北極の主なロシア海軍基地をより見えやすくします。ロシアは太平洋ではずっと柔軟でいますが、日本の再軍備と、切迫が増す東京とモスクワの間の関係は重要な行動を考えることを難しくします。
特に、黒海ですら今やロシアには危険です。もし、ウクライナがこの戦争を政治的に生き残れば、間違いなく作戦を危険にする対艦兵器を所有するでしょう。トルコは、NATOの他の国との難しい関係にあるものの、今や黒海で主要な海軍力を保持します。
ロシア海軍の水上艦隊
ロシアの水上艦隊は生産基盤から危機的状況にあります。ロシアは性能への懸念から22610計画の哨戒艦の調達をやめたとされます。アドミラル・ゴルシュコフ級フリゲートの平均造船期間は十年間以上で2006年に1隻目が着工してから引き渡されたのは3隻のみです。理論上、ロシアは海外から戦闘艦を購入するかもしれませんが(中国は最もありそうで、現実に唯一の将来の輸出国です)、これは通貨が必要で、国内の産業の不足を認めることも必要です。
既存の艦隊には大きな問題があります。一つの迫り来る疑問はロシアの航空母艦、アドミラル・クズネツォフに関するものです。クズネツォフは現役の戦闘艦として15年以上を就航し、数回の火災を含めた複数の機械的な故障とクレーンの倒壊を被ってきました。艦は2017年以降、出港しておらず、これはロシアの海軍飛行士の候補生がほぼ確実に友好な部隊として存在していないことを意味します。32年間で艦は世界で最古の空母ではないものの、修理の後の長い寿命を想像するのは困難です。
艦隊の中の他の2つの大きな水上部隊は、2隻の生き残っているキロフ級のクルーザー戦闘艦のピョートル大帝とアドミラル・ナヒーモフです。前者が戦争で簡単な役割を果たしているのに対して、後者は過去20年間にわたり修理中す。2隻の艦は十分に姿を見せる価値があり、ピョートル大帝はそうした役割でよく使われています。しかし、後者と同じく、悲しむ人もいないモスクワとその姉妹艦は、最小限の地上攻撃能力を持ち、どちらも優れた標的となるでしょう。キーロフ級とスラヴァ級はいずれにせよ非常に古く、ロシア海軍の将来のもっともらしい基盤とは見なされません。
ロシアの水陸両用艦隊は戦争中に、オデーサでウクライナ軍を一時的に釘付けにした程度を除いて、戦争中に非常に役に立たないことが証明されました。艦隊がオデーサへの強襲を行ったり、スネーク島に補給を行えないことは、ロシアの能力に重大な欠如があることを示します。フランスのミストラル級のような大型で平らな甲板を持つ揚陸艦の存在は紛争の初期に影響力を持つでしょうが、ウクライナが相当数の対艦ミサイルを獲得した現在、そのような艦は相当危険でしょう。ロシアがミストラル級に似た大きさの揚陸艦2隻を計画していますが、政府が艦の費用を支払えるかやロシア産業界が実際にそれらを建造できるかは明らかではありません。
潜水艦
一方、潜水艦はロシア海軍力の中核のままです。ロシアの軍艦建造産業はソ連崩壊後に衰退しましたが、潜水艦の建造は急速に回復しました。ロシアの通常型および原子力潜水艦は外国の艦と競合を維持します。ウクライナとの戦争で、潜水艦は封鎖の強化を助け、国中の目標に戦略ミサイル攻撃も発射しています。しかし、潜水艦は能力の点では多くを提供できても、機能する水上艦の機能を代替することはできません。
まとめ
ロシア海軍の歴史はよく言っても不完全で、短中期的には、哨戒機と潜水艦の艦隊以上の海軍力を放棄するべきだという強い主張があります。一方、ロシアは、その水上艦隊が主要国との考えられるほぼすべての紛争で生き残ることができず、水上艦隊を建造または維持する余裕がない可能性が高いという喜ばしい偶然を享受しています。
一方でプーチン大統領は、大型で強力な水上艦が提供できる威信と威嚇の要素を明確に評価しています。ロシアがその水上艦隊によって提供される戦力投射能力を維持するために必要な投資を行うかどうかはまだ分からないままです。
−−−−−
【私のコメント】
一人のコメントだけで結論を出すべきではありませんが、ここに示されたロシア海軍の危機的状況は注目に値すると考えます。明らかに長期間にわたる再建の計画とその実施が必要なロシア海軍ですが、その最中にロシアがなぜ大きな戦争を目論んだのかが、ここで一層引き出された気がします。
プーチンは艦隊による「威信と威嚇」を評価しているとはいえ、それは実力を備えての上の話です。現状を正確に把握せず、ロシアは偉大な国だという妄想に取り憑かれた頭しかないのかもしれません。
海軍の兵器はハイテク化しています。高度な兵器を持つ方が勝つのが海軍の戦闘です。陸上戦闘とは違い、人よりも機械の要素が多いのです。こうした兵器を建造して、維持して行くのには大変な費用がかかります。それをウクライナとの戦争で使い果たし、労働力の基盤になる若者が死傷している訳ですから、艦隊の再建もまた困難になるでしょう。
こうした影響が今度、どんな形で現れてくるのかに注目しなければなりません。ロシア政府の崩壊まで行くのかもしれません。そこで思い出すのは、このエピソードです。ソ連崩壊後、資金の供給が滞ったため、ソ連海軍は電気代を電気会社に支払えなくなりました。滞納の結果、海軍基地への送電が止められました。その基地には原子力潜水艦もあり、これは動いていなくても冷却ポンプを動かさないと原子炉がメルトダウンします。さらに潜水艦も溶けて高熱の鉄が海水と接すると巨大な水蒸気爆発が起こり、原潜が破壊されるだけでなく、放射線が周囲に飛び散ります。慌てたロシア海軍の幹部は電気会社に押しかけ、会社幹部に銃を突きつけ、「今すぐ電気を流せ。さもないとお前の頭を銃で撃つ」と、実際に銃口を向けながら脅したとか。すぐに送電が再開され、事無きを得たそうです。
ロシア海軍の命運は尽きたか?
ロシア海軍の未来はどんなものでしょうか?。ロシア海軍の部隊は重要な役割を演じてきましたが、それらの能力は、よくても、まちまちでした。ロシア海軍はウクライナの各地で目標に対して港を封鎖し、ミサイルを発射するのに成功していますが、その最中に、黒海艦隊の旗艦を失い、最も重要な揚陸艦の一隻を失い、スネーク島を支配するのに失敗し、ウクライナ沿岸で決定的な上陸作戦を遂行するのに失敗しました。
ロシア軍は将来において、相当な予算上の制約に直面するでしょう。ロシア経済は今のところは予想以上に経済制裁を持ちこたえていますが、この状況は、特にアメリカが同盟を維持できるなら、長期間持続しそうにありません。現時点で、海軍がそれ自体を維持するのに十分な資源を意のままにできるかは明らかではありません。
ロシア海軍の戦略的展望
戦略的に、ロシア海軍の状況は過去数ヵ月間にわたり大幅に変化しています。バルチック諸国はフィンランドとスウェーデンのNATOへの加盟によって、事実上、ロシアに門戸を閉ざします。想定される紛争において、ロシアの戦闘艦(潜水艦を含め)が即座に破壊される危険なくバルト海を利用することはなさそうです。フィンランドの加盟は北方でのロシアのアクセスをより複雑にして、NATOに弾道ミサイル艦隊を含む北極の主なロシア海軍基地をより見えやすくします。ロシアは太平洋ではずっと柔軟でいますが、日本の再軍備と、切迫が増す東京とモスクワの間の関係は重要な行動を考えることを難しくします。
特に、黒海ですら今やロシアには危険です。もし、ウクライナがこの戦争を政治的に生き残れば、間違いなく作戦を危険にする対艦兵器を所有するでしょう。トルコは、NATOの他の国との難しい関係にあるものの、今や黒海で主要な海軍力を保持します。
ロシア海軍の水上艦隊
ロシアの水上艦隊は生産基盤から危機的状況にあります。ロシアは性能への懸念から22610計画の哨戒艦の調達をやめたとされます。アドミラル・ゴルシュコフ級フリゲートの平均造船期間は十年間以上で2006年に1隻目が着工してから引き渡されたのは3隻のみです。理論上、ロシアは海外から戦闘艦を購入するかもしれませんが(中国は最もありそうで、現実に唯一の将来の輸出国です)、これは通貨が必要で、国内の産業の不足を認めることも必要です。
既存の艦隊には大きな問題があります。一つの迫り来る疑問はロシアの航空母艦、アドミラル・クズネツォフに関するものです。クズネツォフは現役の戦闘艦として15年以上を就航し、数回の火災を含めた複数の機械的な故障とクレーンの倒壊を被ってきました。艦は2017年以降、出港しておらず、これはロシアの海軍飛行士の候補生がほぼ確実に友好な部隊として存在していないことを意味します。32年間で艦は世界で最古の空母ではないものの、修理の後の長い寿命を想像するのは困難です。
艦隊の中の他の2つの大きな水上部隊は、2隻の生き残っているキロフ級のクルーザー戦闘艦のピョートル大帝とアドミラル・ナヒーモフです。前者が戦争で簡単な役割を果たしているのに対して、後者は過去20年間にわたり修理中す。2隻の艦は十分に姿を見せる価値があり、ピョートル大帝はそうした役割でよく使われています。しかし、後者と同じく、悲しむ人もいないモスクワとその姉妹艦は、最小限の地上攻撃能力を持ち、どちらも優れた標的となるでしょう。キーロフ級とスラヴァ級はいずれにせよ非常に古く、ロシア海軍の将来のもっともらしい基盤とは見なされません。
ロシアの水陸両用艦隊は戦争中に、オデーサでウクライナ軍を一時的に釘付けにした程度を除いて、戦争中に非常に役に立たないことが証明されました。艦隊がオデーサへの強襲を行ったり、スネーク島に補給を行えないことは、ロシアの能力に重大な欠如があることを示します。フランスのミストラル級のような大型で平らな甲板を持つ揚陸艦の存在は紛争の初期に影響力を持つでしょうが、ウクライナが相当数の対艦ミサイルを獲得した現在、そのような艦は相当危険でしょう。ロシアがミストラル級に似た大きさの揚陸艦2隻を計画していますが、政府が艦の費用を支払えるかやロシア産業界が実際にそれらを建造できるかは明らかではありません。
潜水艦
一方、潜水艦はロシア海軍力の中核のままです。ロシアの軍艦建造産業はソ連崩壊後に衰退しましたが、潜水艦の建造は急速に回復しました。ロシアの通常型および原子力潜水艦は外国の艦と競合を維持します。ウクライナとの戦争で、潜水艦は封鎖の強化を助け、国中の目標に戦略ミサイル攻撃も発射しています。しかし、潜水艦は能力の点では多くを提供できても、機能する水上艦の機能を代替することはできません。
まとめ
ロシア海軍の歴史はよく言っても不完全で、短中期的には、哨戒機と潜水艦の艦隊以上の海軍力を放棄するべきだという強い主張があります。一方、ロシアは、その水上艦隊が主要国との考えられるほぼすべての紛争で生き残ることができず、水上艦隊を建造または維持する余裕がない可能性が高いという喜ばしい偶然を享受しています。
一方でプーチン大統領は、大型で強力な水上艦が提供できる威信と威嚇の要素を明確に評価しています。ロシアがその水上艦隊によって提供される戦力投射能力を維持するために必要な投資を行うかどうかはまだ分からないままです。
−−−−−
【私のコメント】
一人のコメントだけで結論を出すべきではありませんが、ここに示されたロシア海軍の危機的状況は注目に値すると考えます。明らかに長期間にわたる再建の計画とその実施が必要なロシア海軍ですが、その最中にロシアがなぜ大きな戦争を目論んだのかが、ここで一層引き出された気がします。
プーチンは艦隊による「威信と威嚇」を評価しているとはいえ、それは実力を備えての上の話です。現状を正確に把握せず、ロシアは偉大な国だという妄想に取り憑かれた頭しかないのかもしれません。
海軍の兵器はハイテク化しています。高度な兵器を持つ方が勝つのが海軍の戦闘です。陸上戦闘とは違い、人よりも機械の要素が多いのです。こうした兵器を建造して、維持して行くのには大変な費用がかかります。それをウクライナとの戦争で使い果たし、労働力の基盤になる若者が死傷している訳ですから、艦隊の再建もまた困難になるでしょう。
こうした影響が今度、どんな形で現れてくるのかに注目しなければなりません。ロシア政府の崩壊まで行くのかもしれません。そこで思い出すのは、このエピソードです。ソ連崩壊後、資金の供給が滞ったため、ソ連海軍は電気代を電気会社に支払えなくなりました。滞納の結果、海軍基地への送電が止められました。その基地には原子力潜水艦もあり、これは動いていなくても冷却ポンプを動かさないと原子炉がメルトダウンします。さらに潜水艦も溶けて高熱の鉄が海水と接すると巨大な水蒸気爆発が起こり、原潜が破壊されるだけでなく、放射線が周囲に飛び散ります。慌てたロシア海軍の幹部は電気会社に押しかけ、会社幹部に銃を突きつけ、「今すぐ電気を流せ。さもないとお前の頭を銃で撃つ」と、実際に銃口を向けながら脅したとか。すぐに送電が再開され、事無きを得たそうです。
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2022年07月03日
米軍の戒厳令についての基礎知識
久しぶりに記事を更新します。military.comが戒厳令について解説記事を報じました。いま、米連邦議会で2021年1月6日に起きた議事堂襲撃事件の公聴会が開かれています。この事件では州兵に暴徒の排除命令が出ました。軍隊による民間社会への介入を嫌うアメリカの法律が戒厳令をどう規定しているかを知ることは、私たちにも重要です。憲法改正の議論の一つ、非常事態宣言はこの戒厳令と同種のものです。民主国家アメリカの法律は日本の改憲議論に多いに参考になるのです。
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戒厳令とは何でしょうか?。普遍的な定義はないものの、この術語は法執行を行うために軍隊を活用することをいいます。しかし、一般的に信じられることと対照的に、自然災害や民間の暴動が起きている間に、支援のために連邦や州の軍人を召集することは戒厳令を施行することと必ずしも同じではありません。
法執行における軍隊の活用をとりまく法律の歴史をみることは、今日、アメリカの学者と当局者が戒厳令をどのように考えているかについての手がかりも与えます。
合衆国憲法に明確な定義はないものの、多くの法専門家は戒厳令は戒厳令を、緊急事態において、急速に支援するため、あるいは国家の通常の法律システムを完全に置き換えるために軍人を活用することだと考えます。いかなる軍隊の活用も戒厳令のレベルをあげるかどうかは、正確にどれだけの軍隊の支援や活動が用いられるに関係します。
完全な戒厳令の下では、通常のアメリカの法執行と司法システムは軍隊や政府の行政部が完全に統制する法律と処罰の厳格な組み合わせに置き換えられます。憲法に組み込まれている通常のチェックとバランスのシステムは停止されます。
若干の法律議論で論じられてはいますが、戒厳令は軍隊による完全な統制がなくても段階的に起こり得もします。現在のアメリカの法律の下で、大統領、議会や地方の軍指揮官は特別な状況において、戒厳令の段階を施行できます。
戒厳令は合衆国大統領、州知事や限定された緊急事態では地方の軍指揮官によって宣言できます。いつどのように宣言されるかは、一連の法律により左右されます。
合衆国で最初に戒厳令が宣言されたのは、米英戦争中のニューオリンズ市でアンドリュー・ジャクソン将軍によってでしたが、この決定は大衆と政府のその他の部署のどちらでも不評でした。ジャクソンは、この手段の批判記事を書いた新聞記者を逮捕したことで、裁判官により1,000ドルの罰金を科されましたが、彼は後に大統領を辞めてから、彼の金を返す特別法を通過させようとして、議会を納得させるために影響力を行使しました。
非政府の法律・政策機関のブレナン司法センター(Brennan Center for Justice)によれば、戒厳令は合衆国では全部でおよそ68回発布されました。連邦の兵士が米国境の中に派遣された、これら68回の事例の多くは労働者の暴動(29回)で、これら68回の戒厳令発動で約33回の発令への個別の法律上の異議申し立てが起こりました。合衆国で戒厳令が最後に公式に発令されたのは1963年でした。
戒厳令は戦時に大統領によって国家規模で2回実施され、最初はエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)による南北戦争中の北部と南部の間の境界州においてで、それから第2次世界大戦中にハワイで地方の軍当局者よってでした。これは後にフランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)によって承認され、西海岸の日系アメリカ人を監禁するために拡大されました。両方の戒厳令布告は法廷で争われ、どちらも、法廷は少なくともこれらの施行の一部は違憲や過度に公判に適用されたと判断されて終わりました。
事実、ほぼ毎回、現役兵が米国内での法執行のために動員され、全国で反感が起こり、その賛否両論が何年も続いていました。
ジョージ・W・ブッシュ大統領(President George W. Bush)が米国の司法県外のキューバのグアンタナモベイの刑務所で外国人勾留者に実施して、後に最高裁が却下したことや、ドナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)に2021年1月6日の議事堂での暴動の間に管区へ派遣したワシントン特別区のすべての州軍兵士の統制を与えた、現行法の抜け穴のような戒厳令のいくつかの実例で、議会と裁判所は普通、国内の軍隊派遣に対して素早く強く反応しています。戒厳令は憲法上の権力の分割を回避し、追加的な非常事態の権限を行政機関に与えるため、そうした出来事は政府の他の部署と普通相容れません。
過去の活動の結果として、反乱法(Insurrection Act )と民警団法(the Posse Comitatus Act)を含む2つの法律が制定されました。これらの合憲性は制定されて百年以上も疑問視されることが多いものの、両方とも現在、非常事態において広範に活用されています。反乱法は連邦軍が国内で活用し得る唯一の時機を詳述し、民警団法はこうした環境においてそれらの活用を制限します。
連邦兵士は公式な戒厳令布告なしに法律と治安を施行するために活用できます。議会調査局によれば、米国ではそれらは反乱法の下で1990年代の前に少なくとも14回、民警団法の下で1992年以降は23回利用されました。
1932年、ハーバート・フーバー大統領(President Herbert Hoover)はよく知られるように、抗議をする退役軍人と彼らの家族を議事堂近くの野営地から一掃するために軍隊に命令しました。そこで彼らは戦時ボーナスの支払い遅延に抗議していました。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)とジョージ・パットン(George Patton)両名は退役軍人と彼らの家族でいっぱいの野営地を一掃する戦車と銃剣を銃に固定した兵士が参加する作戦に関与しました。それは世論という法廷とは相容れませんでした。
以下は十年ごとの最近の連邦兵士の国内派遣の別の実例です。
・1950年代ードワイト・D・アイゼンハワー大統領(President Dwight D. Eisenhower)はアーカンサス州で学校統合を遵守するために連邦兵士を使いました。
・1960年ーリンドン・ジョンソン大統領(President Lyndon Johnson)はマーチン・ルーサーキング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)暗殺の後、暴動を鎮圧するために彼らを活用しました。
・1970年代ーリチャード・ニクソン大統領(President Richard Nixon)はオハイオ州のケント州立大学でのものを含む戦争反対の抗議を止めさせるために彼らを使いました。
・1980年代ージョージ・H・W・ブッシュ大統領(President George H.W. Bush)はハリケーン・ヒューゴ後の略奪を終わらせるために兵士を使いました。
・1990年代ービル・クリントン大統領(President Bill Clinton)はテキサス州、ウェーコ(Waco)の宗派本拠地を包囲するのを支援するために彼らを使いました。
・2000年代ージョージ・W・ブッシュ大統領(President George W. Bush)はハリケーン・カトリーナ後の略奪を防ぐために兵士を使いました。
・2010年代ーバラク・オバマ大統領(President Barack Obama)は政治的過激主義者による野生動物保護区の占拠中に彼らを使いました。
・2020年代ードナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)は急進派の暴動の中で彼らを使いました。
1807年の反乱法は必要な時に大統領に現役兵と州兵を米国内に派遣する能力を与えます。兵士の動員は以下の時に承認されます。
・州議会による要請があった時。議会か直ちに開催できないなら、州知事も州内での暴動の間に連邦の支援を要請できます。
・州内で暴動が起きて、州が民間人の保護を提供できないか、しようとしないなら、連邦軍は秩序を維持するために派遣され得ます。
・どの州も別のあらゆる州で法律を施行するのを実行不可能にする反乱があるなら、これらの州は連邦の支援を要請できます。
・州が連邦が保証する権利を提供しないなら、市民を守るために連邦の支援が許可され得ます。
大統領は反乱法を発動する前に、反乱を解散さするための命令を発布しなければなりません。
民警団法は最初に1878年に制定され、基本的には、大統領が反乱法や関連する法律の下で作戦を命じない限り、連邦軍が国内の法執行を支援することを禁止しています。これは今日の民間の活動に軍隊が参加する際に使われる司法上の慣例です。
これは元々、リンカーンが南北戦争中に民間人を裁くために軍人裁判を使うために戒厳令を発動したことへの反動と、独立後の新しく解放された州で解放された奴隷を虐待から守るための両方のために制定されました。
この法律は軍人が既存の法律を施行する上で民間の警察を支援することだけを認め、連邦政府に連邦の権利が全国で一方的に提供され、施行されるのを確実にするための権限を与えます。
ほとんどの州憲法は州政府が州軍兵士を州内で法執行活において動員することを認めます。州は非常事態の間、隣接する州に兵士の派遣を認める合意を互いに結んでいるところも少なくありません。州法や第32編(訳注 合衆国法典第32編。州軍の役割を定める法律)のどちらかの業務につく場合、一般的に自然災害を中心に動員が指定され、州軍の隊員は自州の法律を執行できます。
しかし、一度、州軍の隊員が連邦の業務に召集されると、彼らは連邦軍の一部となり、その結果、彼らの任務は民警団法によって制限されます。
通常、現役兵は国防に関連した国内の任務のみを行えます。それは対テロリズム、薬物阻止や大量破壊兵器の取引のような事柄を含みます。法執行の役割で業務を行うために軍隊を必要とする状況が存在するなら大統領、または緊急時には地方の軍指揮官によって、文書で承認されなければなりません。
民警団法の下で活動する連邦の兵士は既存の法律を執行ことで民間の警察を支援するために任務を行うことだけに制限されます。事実、軍隊は民間の警察を支援する時に何をしてよいか厳密に著しく制限され、規則が国防総省規則3025.21に定められています。陸軍ドクトリンADP 3-28も民間の権威の国防支援を詳述します。
民間の法執行を支援する連邦軍部隊は連邦軍の指揮下に留まり、常に統制されます。
地方の軍指揮官は、秩序を脅かし、人命や資産の大量な損失を起こしかねない大規模で予測できない民間の暴動の最中に秩序を維持するために連邦の兵士を一時的に派遣する権限も持ちます。
戒厳令中の法執行支援は直接と間接の2つの広範囲な分類にはいります。直接支援は法律の執行と違反者との身体的な接触に関わります。間接支援は民間の法執行機関の支援で構成されますが、法執行や違反者との直接の接触はありません。
・間接支援は命の危険がある緊急事態を除いて、ロジスティクス、輸送と訓練支援を含みます。
・直接支援は捜索作戦や犯罪調査、逮捕、追跡と交通整理を行うことを含みます。
第10編(合衆国法典第10編。連邦軍について定める法律)の連邦動員状態にある軍隊のメンバーは、大統領、憲法や法律が特別に承認しない限り、直接の民間の法執行活動に参加できません。軍隊の隊員による武力行使には非常に限定された規則があります。
国防長官の特別な承認なしに民間の権威を支援するために無人航空機(ドローン)を使用したり、兵士が「武装した合衆国の敵を撃退する」必要がある場合以外で投票所でいかなる作戦も行うことを禁じる法律さえ存在します。
政府の行政機関は民間の法執行を支援するために、しばしば軍隊に頼るかもしれませんが、議会と司法機関はこうした活動に難色を示す傾向があり、状況によって、それが起きるのを防ごうとします。実例として、ラズル対ブッシュ裁判(Rasul v. Bush)を見ましょう。
ハワイでの戒厳令実施に関連する1946年の裁判で、最高裁判所は判決で述べました。
「我々の政府システムは完全な軍事政権と正反対であり、建国者たちはこの国の一部となった領域の範囲内で軍事政権を想定したとは思えません」。
いつ連邦や州軍の兵士が戒厳令で活用されるのが適切かについての議論と緊張は終わりそうにありません。
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《コメント》
以上、お読みになって分かるように、米軍は民間社会に影響を与えないように最大限の制度が設けられているのです。1月6日の議事堂襲撃事件はトランプという特異な性格の大統領によって引き起こされました。彼は法律に無頓着です。そもそも、勉強しない人だから、法律なんか知らないのです。こういう大統領により、この政権では軍人が大変な思いをしました。しかも、米軍の軍人は政治的発言をすべて禁止されているため、公に大統領を批判することもできないのです。この結果、統合参謀本部議長のミレー陸軍大将はトランプを信用しなくなり、大統領が軍隊を使ってクーデターを起こそうとするのではないかと本気で心配していました。
日本の歴史を見ると、明治以降、このように民間社会に影響を与えない軍隊を日本は持つことはありませんでした。旧日本軍はこれと真逆で、実は、現在の自衛隊もほとんど変わっていません。自衛官は最も親しい友軍である米軍にこんな規則があること自体知りません。日本国民も似たようなもので、上にならえの傾向が強いので、戒厳令が出ても大きな抗議は起こらないでしょう。近い将来、日本人は簡単に民主主義を捨てて、また全体主義への道を歩き出すのだろうと、私は推測し、危惧しています。改憲議論をみても、あまりにも不注意で、専制的な改憲論しかみえてきません。軍人(侍)同士のクーデターによる政権交代だけで、大衆による民主化運動を経験していない日本人には、何が危険かが分からないのです。
https://www.military.com/history/martial-law-everything-know.html
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戒厳令について知るべきこと
戒厳令とは何でしょうか?。普遍的な定義はないものの、この術語は法執行を行うために軍隊を活用することをいいます。しかし、一般的に信じられることと対照的に、自然災害や民間の暴動が起きている間に、支援のために連邦や州の軍人を召集することは戒厳令を施行することと必ずしも同じではありません。
法執行における軍隊の活用をとりまく法律の歴史をみることは、今日、アメリカの学者と当局者が戒厳令をどのように考えているかについての手がかりも与えます。
戒厳令とは何か?
合衆国憲法に明確な定義はないものの、多くの法専門家は戒厳令は戒厳令を、緊急事態において、急速に支援するため、あるいは国家の通常の法律システムを完全に置き換えるために軍人を活用することだと考えます。いかなる軍隊の活用も戒厳令のレベルをあげるかどうかは、正確にどれだけの軍隊の支援や活動が用いられるに関係します。
完全な戒厳令の下では、通常のアメリカの法執行と司法システムは軍隊や政府の行政部が完全に統制する法律と処罰の厳格な組み合わせに置き換えられます。憲法に組み込まれている通常のチェックとバランスのシステムは停止されます。
若干の法律議論で論じられてはいますが、戒厳令は軍隊による完全な統制がなくても段階的に起こり得もします。現在のアメリカの法律の下で、大統領、議会や地方の軍指揮官は特別な状況において、戒厳令の段階を施行できます。
戒厳令を宣言できるのは誰?
戒厳令は合衆国大統領、州知事や限定された緊急事態では地方の軍指揮官によって宣言できます。いつどのように宣言されるかは、一連の法律により左右されます。
合衆国での戒厳令の例
合衆国で最初に戒厳令が宣言されたのは、米英戦争中のニューオリンズ市でアンドリュー・ジャクソン将軍によってでしたが、この決定は大衆と政府のその他の部署のどちらでも不評でした。ジャクソンは、この手段の批判記事を書いた新聞記者を逮捕したことで、裁判官により1,000ドルの罰金を科されましたが、彼は後に大統領を辞めてから、彼の金を返す特別法を通過させようとして、議会を納得させるために影響力を行使しました。
非政府の法律・政策機関のブレナン司法センター(Brennan Center for Justice)によれば、戒厳令は合衆国では全部でおよそ68回発布されました。連邦の兵士が米国境の中に派遣された、これら68回の事例の多くは労働者の暴動(29回)で、これら68回の戒厳令発動で約33回の発令への個別の法律上の異議申し立てが起こりました。合衆国で戒厳令が最後に公式に発令されたのは1963年でした。
戒厳令は戦時に大統領によって国家規模で2回実施され、最初はエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)による南北戦争中の北部と南部の間の境界州においてで、それから第2次世界大戦中にハワイで地方の軍当局者よってでした。これは後にフランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)によって承認され、西海岸の日系アメリカ人を監禁するために拡大されました。両方の戒厳令布告は法廷で争われ、どちらも、法廷は少なくともこれらの施行の一部は違憲や過度に公判に適用されたと判断されて終わりました。
事実、ほぼ毎回、現役兵が米国内での法執行のために動員され、全国で反感が起こり、その賛否両論が何年も続いていました。
ジョージ・W・ブッシュ大統領(President George W. Bush)が米国の司法県外のキューバのグアンタナモベイの刑務所で外国人勾留者に実施して、後に最高裁が却下したことや、ドナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)に2021年1月6日の議事堂での暴動の間に管区へ派遣したワシントン特別区のすべての州軍兵士の統制を与えた、現行法の抜け穴のような戒厳令のいくつかの実例で、議会と裁判所は普通、国内の軍隊派遣に対して素早く強く反応しています。戒厳令は憲法上の権力の分割を回避し、追加的な非常事態の権限を行政機関に与えるため、そうした出来事は政府の他の部署と普通相容れません。
過去の活動の結果として、反乱法(Insurrection Act )と民警団法(the Posse Comitatus Act)を含む2つの法律が制定されました。これらの合憲性は制定されて百年以上も疑問視されることが多いものの、両方とも現在、非常事態において広範に活用されています。反乱法は連邦軍が国内で活用し得る唯一の時機を詳述し、民警団法はこうした環境においてそれらの活用を制限します。
米国内での戒厳令ではない兵士の活用例
連邦兵士は公式な戒厳令布告なしに法律と治安を施行するために活用できます。議会調査局によれば、米国ではそれらは反乱法の下で1990年代の前に少なくとも14回、民警団法の下で1992年以降は23回利用されました。
1932年、ハーバート・フーバー大統領(President Herbert Hoover)はよく知られるように、抗議をする退役軍人と彼らの家族を議事堂近くの野営地から一掃するために軍隊に命令しました。そこで彼らは戦時ボーナスの支払い遅延に抗議していました。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)とジョージ・パットン(George Patton)両名は退役軍人と彼らの家族でいっぱいの野営地を一掃する戦車と銃剣を銃に固定した兵士が参加する作戦に関与しました。それは世論という法廷とは相容れませんでした。
以下は十年ごとの最近の連邦兵士の国内派遣の別の実例です。
・1950年代ードワイト・D・アイゼンハワー大統領(President Dwight D. Eisenhower)はアーカンサス州で学校統合を遵守するために連邦兵士を使いました。
・1960年ーリンドン・ジョンソン大統領(President Lyndon Johnson)はマーチン・ルーサーキング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)暗殺の後、暴動を鎮圧するために彼らを活用しました。
・1970年代ーリチャード・ニクソン大統領(President Richard Nixon)はオハイオ州のケント州立大学でのものを含む戦争反対の抗議を止めさせるために彼らを使いました。
・1980年代ージョージ・H・W・ブッシュ大統領(President George H.W. Bush)はハリケーン・ヒューゴ後の略奪を終わらせるために兵士を使いました。
・1990年代ービル・クリントン大統領(President Bill Clinton)はテキサス州、ウェーコ(Waco)の宗派本拠地を包囲するのを支援するために彼らを使いました。
・2000年代ージョージ・W・ブッシュ大統領(President George W. Bush)はハリケーン・カトリーナ後の略奪を防ぐために兵士を使いました。
・2010年代ーバラク・オバマ大統領(President Barack Obama)は政治的過激主義者による野生動物保護区の占拠中に彼らを使いました。
・2020年代ードナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)は急進派の暴動の中で彼らを使いました。
反乱法とは何か?
1807年の反乱法は必要な時に大統領に現役兵と州兵を米国内に派遣する能力を与えます。兵士の動員は以下の時に承認されます。
・州議会による要請があった時。議会か直ちに開催できないなら、州知事も州内での暴動の間に連邦の支援を要請できます。
・州内で暴動が起きて、州が民間人の保護を提供できないか、しようとしないなら、連邦軍は秩序を維持するために派遣され得ます。
・どの州も別のあらゆる州で法律を施行するのを実行不可能にする反乱があるなら、これらの州は連邦の支援を要請できます。
・州が連邦が保証する権利を提供しないなら、市民を守るために連邦の支援が許可され得ます。
大統領は反乱法を発動する前に、反乱を解散さするための命令を発布しなければなりません。
民警団法とは何か?
民警団法は最初に1878年に制定され、基本的には、大統領が反乱法や関連する法律の下で作戦を命じない限り、連邦軍が国内の法執行を支援することを禁止しています。これは今日の民間の活動に軍隊が参加する際に使われる司法上の慣例です。
これは元々、リンカーンが南北戦争中に民間人を裁くために軍人裁判を使うために戒厳令を発動したことへの反動と、独立後の新しく解放された州で解放された奴隷を虐待から守るための両方のために制定されました。
この法律は軍人が既存の法律を施行する上で民間の警察を支援することだけを認め、連邦政府に連邦の権利が全国で一方的に提供され、施行されるのを確実にするための権限を与えます。
戒厳令による州軍の動員
ほとんどの州憲法は州政府が州軍兵士を州内で法執行活において動員することを認めます。州は非常事態の間、隣接する州に兵士の派遣を認める合意を互いに結んでいるところも少なくありません。州法や第32編(訳注 合衆国法典第32編。州軍の役割を定める法律)のどちらかの業務につく場合、一般的に自然災害を中心に動員が指定され、州軍の隊員は自州の法律を執行できます。
しかし、一度、州軍の隊員が連邦の業務に召集されると、彼らは連邦軍の一部となり、その結果、彼らの任務は民警団法によって制限されます。
戒厳令中に軍隊は何ができるか?
通常、現役兵は国防に関連した国内の任務のみを行えます。それは対テロリズム、薬物阻止や大量破壊兵器の取引のような事柄を含みます。法執行の役割で業務を行うために軍隊を必要とする状況が存在するなら大統領、または緊急時には地方の軍指揮官によって、文書で承認されなければなりません。
民警団法の下で活動する連邦の兵士は既存の法律を執行ことで民間の警察を支援するために任務を行うことだけに制限されます。事実、軍隊は民間の警察を支援する時に何をしてよいか厳密に著しく制限され、規則が国防総省規則3025.21に定められています。陸軍ドクトリンADP 3-28も民間の権威の国防支援を詳述します。
民間の法執行を支援する連邦軍部隊は連邦軍の指揮下に留まり、常に統制されます。
地方の軍指揮官は、秩序を脅かし、人命や資産の大量な損失を起こしかねない大規模で予測できない民間の暴動の最中に秩序を維持するために連邦の兵士を一時的に派遣する権限も持ちます。
戒厳令に対する制限
戒厳令中の法執行支援は直接と間接の2つの広範囲な分類にはいります。直接支援は法律の執行と違反者との身体的な接触に関わります。間接支援は民間の法執行機関の支援で構成されますが、法執行や違反者との直接の接触はありません。
・間接支援は命の危険がある緊急事態を除いて、ロジスティクス、輸送と訓練支援を含みます。
・直接支援は捜索作戦や犯罪調査、逮捕、追跡と交通整理を行うことを含みます。
第10編(合衆国法典第10編。連邦軍について定める法律)の連邦動員状態にある軍隊のメンバーは、大統領、憲法や法律が特別に承認しない限り、直接の民間の法執行活動に参加できません。軍隊の隊員による武力行使には非常に限定された規則があります。
国防長官の特別な承認なしに民間の権威を支援するために無人航空機(ドローン)を使用したり、兵士が「武装した合衆国の敵を撃退する」必要がある場合以外で投票所でいかなる作戦も行うことを禁じる法律さえ存在します。
今日の米国での戒厳令
政府の行政機関は民間の法執行を支援するために、しばしば軍隊に頼るかもしれませんが、議会と司法機関はこうした活動に難色を示す傾向があり、状況によって、それが起きるのを防ごうとします。実例として、ラズル対ブッシュ裁判(Rasul v. Bush)を見ましょう。
ハワイでの戒厳令実施に関連する1946年の裁判で、最高裁判所は判決で述べました。
「我々の政府システムは完全な軍事政権と正反対であり、建国者たちはこの国の一部となった領域の範囲内で軍事政権を想定したとは思えません」。
いつ連邦や州軍の兵士が戒厳令で活用されるのが適切かについての議論と緊張は終わりそうにありません。
ーーーーーー
《コメント》
以上、お読みになって分かるように、米軍は民間社会に影響を与えないように最大限の制度が設けられているのです。1月6日の議事堂襲撃事件はトランプという特異な性格の大統領によって引き起こされました。彼は法律に無頓着です。そもそも、勉強しない人だから、法律なんか知らないのです。こういう大統領により、この政権では軍人が大変な思いをしました。しかも、米軍の軍人は政治的発言をすべて禁止されているため、公に大統領を批判することもできないのです。この結果、統合参謀本部議長のミレー陸軍大将はトランプを信用しなくなり、大統領が軍隊を使ってクーデターを起こそうとするのではないかと本気で心配していました。
日本の歴史を見ると、明治以降、このように民間社会に影響を与えない軍隊を日本は持つことはありませんでした。旧日本軍はこれと真逆で、実は、現在の自衛隊もほとんど変わっていません。自衛官は最も親しい友軍である米軍にこんな規則があること自体知りません。日本国民も似たようなもので、上にならえの傾向が強いので、戒厳令が出ても大きな抗議は起こらないでしょう。近い将来、日本人は簡単に民主主義を捨てて、また全体主義への道を歩き出すのだろうと、私は推測し、危惧しています。改憲議論をみても、あまりにも不注意で、専制的な改憲論しかみえてきません。軍人(侍)同士のクーデターによる政権交代だけで、大衆による民主化運動を経験していない日本人には、何が危険かが分からないのです。
https://www.military.com/history/martial-law-everything-know.html
posted by スパイク通信員 at 10:08| Comment(0)
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