2021年08月11日

朝鮮戦争の遺体回収活動に学べ

 military.comによれば、毎月の初めに、クワク・グムジャ(Kwak Geum-ja)は、彼女が赤ん坊のときに戦死した韓国兵の父に祈りを捧げるために近所にある朝鮮戦争の慰霊碑に詣でます。

 彼の遺体はまだ回収されておらず、年老いたクワクはそれらが見つけられて、国立墓地に埋葬されるよう熱望します。

 「私は今、70歳を越えています。死ぬ前に父の遺体を取り戻せるなら、思い残すことはありません」と、首都ソウルのすぐ南にある安養市(Anyang)でのインタビューの間に、涙目のクワクはいいました。「私はそれらを見て、確かめたいだけです。他には望みません」。

 クワクは1950〜53年の朝鮮戦争中に非業の死を遂げた愛する家族の遺体が発見されることを望む数十万人の韓国人の中にいます。

 道は依然として遠くにあります。

 回収の努力は、類似したアメリカの任務を真似た回収の努力が本格的にはじまってから、当局は死亡した韓国軍の兵士と考えられる数千体の遺体を発掘しましたが、それらの166人しか身元が分かっていません。発見されていない韓国兵の数は約120,000人にのぼります。

 韓国はこれまでに、掘り出した骨から抽出したDNAと照合するために、殺された兵士約47,000人の血族のDNAサンプルしか集めていません。

 韓国とアメリカ主導の国連軍と北朝鮮と中国とが闘った紛争は、韓国兵160,000人を含む、120〜200万人を殺しました。

 ほとんどの遺族が高齢だったり、すでに死去しているため、彼らの遺体を見つけることは切迫した心情的な仕事です。

 回収作業は、韓国が北朝鮮の奇襲を鈍らせるために急いだため、多くの韓国兵が開戦段階で軍隊の身分証明書なしに派遣されたという事実のために困難です。当局はほとんどの兵士の歯科治療、胸部レントゲン写真とその他の形式の身分証明の記録を保管しませんでした。紛争が終わると、急速な戦後復興と国土再開発計画が引き続き、かつての戦場と埋葬場所の位置を特定するのを困難にしました。

 「彼らがまだ生きている時に、愛する家族の遺体を取り戻すことは、遺族にはより意味があります。それは未だ最も難しい我々の任務の基本です」と、国防部が運営する機関で、戦死した兵士の回収と身元特定に責任を負う中央身元特定研究所(the central identification laboratory)の所長、イム・ナヒョク(Im Na Hyok)はいいました。

 AP通信の記者が最近、ソウルの国立墓地にある研究所を訪問した間、彼女は2つの朝鮮国家の間の事実上の国境を形成する、重武装された細長い地帯である非武装地帯内の元戦場から、近年に当局が掘り出している遺体の一部について話しました。それは終戦から初めてのDMZでの前述の発掘計画でした。

 研究所のテーブルに置かれた、黄ばんだ、ほぼ完全な骨格を解説して、イム所長は遺体は韓国人ではなくヨーロッパ出身の米兵らしいといいました。彼女は高い鼻骨とアマルガムの詰め物(戦時中には両朝鮮国家と中国の両方で存在しなかった歯科治療)がある歯を指摘しました。骨から収集された防弾ベスト、靴とその他の装具は国連が支給した道具にすべて見つけられたと、彼女はいいました。

 もう一つの、より不完全な骨格は韓国兵のようです。イム所長は、親知らず、歯牙摩耗とその他の骨の状態についての彼女のチームの検証を引き合いに出して、25歳くらいで死亡したといいました。

 イム所長は、ソウルが約30,000人の韓国人の戦死者が見つかっていないと考える北朝鮮の中に任務を拡張することを望むといいました。

 北朝鮮はその領域内で韓国が発掘することを一度も認めていません。北朝鮮は韓国が発見した同国の遺体を受け取ることも拒否しています。

 しかし、ワシントンとの関係を優先する証として、北朝鮮は1996〜2005年にアメリカと33回の合同回収作業を行い、米兵の遺体229体をその領域で収集しました。2018年、二カ国が現在は止まった北朝鮮の核開発計画についての交渉に関わる中、北朝鮮は友好の姿勢として、この戦争で行方不明になった米兵と推定される55個の箱を返還しました。

 朝鮮半島は戦争状態のままです。1953年に紛争を終えた休戦協定はいまだに平和条約に置き換えられていません。7,500人以上のアメリカ人が朝鮮戦争で行方不明になったままです。

 クワクの父親、クワク・ジョンギュ上等兵(Pfc. Kwak Jeong-kyu)は、1951年1月1日に、韓国の国境の町、鉄原(Cheolwon)で、26歳で亡くなりました。彼女は10年以上前に血液サンプルを提出したといいました。毎年、彼女は政府から、父親の遺体がまだ発見されていないという手紙を受け取ります。

 彼女は彼が軍隊に徴用された時、僅か1歳だったために、父親の記憶はありません。子供の頃、クワクは彼女は家族が参加する村の宴会に参加したり、友人の父親が学校に現れるのが嫌いだったといいました。

 彼女の母親が心臓疾患で死ぬ直前、戦争未亡人はせん妄に陥り、夫が帰ってきたかと尋ねました。

 「母が死んだとき、それが母が発した唯一の言葉でした……私は母が彼に深い想いを持っていたから、これを言ったと思います」。

 亡くなった韓国海兵隊員の68歳の息子、チェ・チュンシク(Choi Choong-sik)は、彼が戦争が終わる週に殺された直後に死をしらされたのに、彼の家族が国立墓地に彼の名前がある墓があるのをはじめて知ったのは1980年頃だったといいました。

 チェは定期的に墓参りをします。しかし、父親の遺体が今なお他にある場合に備えて、彼はDNAサンプルを提出しました。彼は戦後の混乱の間に誰かの遺灰が墓に埋葬された可能性があると感じます。

 「私は時々、墓の遺体が本当に私の父親か疑問をもちます」とチェはいいました。「私がまだ生きている時に父親の本当の遺体が回収できたら素晴らしいとは思いませんか?」。

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 朝鮮戦争は稀に見る激戦でした。北朝鮮軍が急速に前進し、国連軍にも韓国軍にもそれを止める術がありませんでした。アメリカはここで戦争が起きるとは考えておらず、軽装備の部隊しか置いていなかったからです。その結果、大勢の兵士が戦死し、さらに戦闘地域内に取り残された民間人たちはそれ以上に多くが犠牲となりました。戦いで死んだのではなく、北朝鮮の手先と誤認された人たちも殺されました。その結果、朝鮮戦争は近代戦では民間人の犠牲者の数が極めて多いのです。

 私がこのことを認識したのは韓国映画「ブラザーフッド」の映画評を書くため、朝鮮戦争の歴史を再確認した時でした。あまりにも民間人の犠牲が多いことに気がつき、号泣した記憶があります。「ブラザーフッド」は遺体の回収作業で、ある遺体が発見されるところから始まる物語で、この記事とも関連性がある劇映画です。

 日本には韓国の中央身元特定研究所のような機関はありません。遺骨を大切にする国のくせに、戦死者の遺骨を特定する作業は滅多に行われません。米軍も身元特定のための専門機関をもっています。日本のこの無頓着さは一体何なのかと思うことがあります。あまりにも無神経であるように思うのです。

 死者のことはどうでもよいのなら、生きている人たちのこともどうでもよいのでしょう。

 余談ですが、朝鮮戦争が起きた結果、日本における太平洋戦争の反省は、目の前にまで来た脅威のために後退したと思っています。朝鮮戦争が起きなければ、日本はしばらくの間は目立った脅威がなく、その間に大戦の検証が進んだかも知れません。それはとても貴重な時期だったはずです。現在、中途半端な反省の下で、また脅威に対する防衛論が叫ばれていますが、それはまた戦前の様相に似ているようにも思えます。軍人が脅威への対処のつもりで誤った手段に走り、日本を戦争に進ませたようなことが、また繰り返される恐れは消えていません。
posted by スパイク通信員 at 19:45| Comment(0) | 日記
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