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戒厳令について知るべきこと
戒厳令とは何でしょうか?。普遍的な定義はないものの、この術語は法執行を行うために軍隊を活用することをいいます。しかし、一般的に信じられることと対照的に、自然災害や民間の暴動が起きている間に、支援のために連邦や州の軍人を召集することは戒厳令を施行することと必ずしも同じではありません。
法執行における軍隊の活用をとりまく法律の歴史をみることは、今日、アメリカの学者と当局者が戒厳令をどのように考えているかについての手がかりも与えます。
戒厳令とは何か?
合衆国憲法に明確な定義はないものの、多くの法専門家は戒厳令は戒厳令を、緊急事態において、急速に支援するため、あるいは国家の通常の法律システムを完全に置き換えるために軍人を活用することだと考えます。いかなる軍隊の活用も戒厳令のレベルをあげるかどうかは、正確にどれだけの軍隊の支援や活動が用いられるに関係します。
完全な戒厳令の下では、通常のアメリカの法執行と司法システムは軍隊や政府の行政部が完全に統制する法律と処罰の厳格な組み合わせに置き換えられます。憲法に組み込まれている通常のチェックとバランスのシステムは停止されます。
若干の法律議論で論じられてはいますが、戒厳令は軍隊による完全な統制がなくても段階的に起こり得もします。現在のアメリカの法律の下で、大統領、議会や地方の軍指揮官は特別な状況において、戒厳令の段階を施行できます。
戒厳令を宣言できるのは誰?
戒厳令は合衆国大統領、州知事や限定された緊急事態では地方の軍指揮官によって宣言できます。いつどのように宣言されるかは、一連の法律により左右されます。
合衆国での戒厳令の例
合衆国で最初に戒厳令が宣言されたのは、米英戦争中のニューオリンズ市でアンドリュー・ジャクソン将軍によってでしたが、この決定は大衆と政府のその他の部署のどちらでも不評でした。ジャクソンは、この手段の批判記事を書いた新聞記者を逮捕したことで、裁判官により1,000ドルの罰金を科されましたが、彼は後に大統領を辞めてから、彼の金を返す特別法を通過させようとして、議会を納得させるために影響力を行使しました。
非政府の法律・政策機関のブレナン司法センター(Brennan Center for Justice)によれば、戒厳令は合衆国では全部でおよそ68回発布されました。連邦の兵士が米国境の中に派遣された、これら68回の事例の多くは労働者の暴動(29回)で、これら68回の戒厳令発動で約33回の発令への個別の法律上の異議申し立てが起こりました。合衆国で戒厳令が最後に公式に発令されたのは1963年でした。
戒厳令は戦時に大統領によって国家規模で2回実施され、最初はエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)による南北戦争中の北部と南部の間の境界州においてで、それから第2次世界大戦中にハワイで地方の軍当局者よってでした。これは後にフランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt)によって承認され、西海岸の日系アメリカ人を監禁するために拡大されました。両方の戒厳令布告は法廷で争われ、どちらも、法廷は少なくともこれらの施行の一部は違憲や過度に公判に適用されたと判断されて終わりました。
事実、ほぼ毎回、現役兵が米国内での法執行のために動員され、全国で反感が起こり、その賛否両論が何年も続いていました。
ジョージ・W・ブッシュ大統領(President George W. Bush)が米国の司法県外のキューバのグアンタナモベイの刑務所で外国人勾留者に実施して、後に最高裁が却下したことや、ドナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)に2021年1月6日の議事堂での暴動の間に管区へ派遣したワシントン特別区のすべての州軍兵士の統制を与えた、現行法の抜け穴のような戒厳令のいくつかの実例で、議会と裁判所は普通、国内の軍隊派遣に対して素早く強く反応しています。戒厳令は憲法上の権力の分割を回避し、追加的な非常事態の権限を行政機関に与えるため、そうした出来事は政府の他の部署と普通相容れません。
過去の活動の結果として、反乱法(Insurrection Act )と民警団法(the Posse Comitatus Act)を含む2つの法律が制定されました。これらの合憲性は制定されて百年以上も疑問視されることが多いものの、両方とも現在、非常事態において広範に活用されています。反乱法は連邦軍が国内で活用し得る唯一の時機を詳述し、民警団法はこうした環境においてそれらの活用を制限します。
米国内での戒厳令ではない兵士の活用例
連邦兵士は公式な戒厳令布告なしに法律と治安を施行するために活用できます。議会調査局によれば、米国ではそれらは反乱法の下で1990年代の前に少なくとも14回、民警団法の下で1992年以降は23回利用されました。
1932年、ハーバート・フーバー大統領(President Herbert Hoover)はよく知られるように、抗議をする退役軍人と彼らの家族を議事堂近くの野営地から一掃するために軍隊に命令しました。そこで彼らは戦時ボーナスの支払い遅延に抗議していました。ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)とジョージ・パットン(George Patton)両名は退役軍人と彼らの家族でいっぱいの野営地を一掃する戦車と銃剣を銃に固定した兵士が参加する作戦に関与しました。それは世論という法廷とは相容れませんでした。
以下は十年ごとの最近の連邦兵士の国内派遣の別の実例です。
・1950年代ードワイト・D・アイゼンハワー大統領(President Dwight D. Eisenhower)はアーカンサス州で学校統合を遵守するために連邦兵士を使いました。
・1960年ーリンドン・ジョンソン大統領(President Lyndon Johnson)はマーチン・ルーサーキング・ジュニア(Martin Luther King Jr.)暗殺の後、暴動を鎮圧するために彼らを活用しました。
・1970年代ーリチャード・ニクソン大統領(President Richard Nixon)はオハイオ州のケント州立大学でのものを含む戦争反対の抗議を止めさせるために彼らを使いました。
・1980年代ージョージ・H・W・ブッシュ大統領(President George H.W. Bush)はハリケーン・ヒューゴ後の略奪を終わらせるために兵士を使いました。
・1990年代ービル・クリントン大統領(President Bill Clinton)はテキサス州、ウェーコ(Waco)の宗派本拠地を包囲するのを支援するために彼らを使いました。
・2000年代ージョージ・W・ブッシュ大統領(President George W. Bush)はハリケーン・カトリーナ後の略奪を防ぐために兵士を使いました。
・2010年代ーバラク・オバマ大統領(President Barack Obama)は政治的過激主義者による野生動物保護区の占拠中に彼らを使いました。
・2020年代ードナルド・トランプ大統領(President Donald Trump)は急進派の暴動の中で彼らを使いました。
反乱法とは何か?
1807年の反乱法は必要な時に大統領に現役兵と州兵を米国内に派遣する能力を与えます。兵士の動員は以下の時に承認されます。
・州議会による要請があった時。議会か直ちに開催できないなら、州知事も州内での暴動の間に連邦の支援を要請できます。
・州内で暴動が起きて、州が民間人の保護を提供できないか、しようとしないなら、連邦軍は秩序を維持するために派遣され得ます。
・どの州も別のあらゆる州で法律を施行するのを実行不可能にする反乱があるなら、これらの州は連邦の支援を要請できます。
・州が連邦が保証する権利を提供しないなら、市民を守るために連邦の支援が許可され得ます。
大統領は反乱法を発動する前に、反乱を解散さするための命令を発布しなければなりません。
民警団法とは何か?
民警団法は最初に1878年に制定され、基本的には、大統領が反乱法や関連する法律の下で作戦を命じない限り、連邦軍が国内の法執行を支援することを禁止しています。これは今日の民間の活動に軍隊が参加する際に使われる司法上の慣例です。
これは元々、リンカーンが南北戦争中に民間人を裁くために軍人裁判を使うために戒厳令を発動したことへの反動と、独立後の新しく解放された州で解放された奴隷を虐待から守るための両方のために制定されました。
この法律は軍人が既存の法律を施行する上で民間の警察を支援することだけを認め、連邦政府に連邦の権利が全国で一方的に提供され、施行されるのを確実にするための権限を与えます。
戒厳令による州軍の動員
ほとんどの州憲法は州政府が州軍兵士を州内で法執行活において動員することを認めます。州は非常事態の間、隣接する州に兵士の派遣を認める合意を互いに結んでいるところも少なくありません。州法や第32編(訳注 合衆国法典第32編。州軍の役割を定める法律)のどちらかの業務につく場合、一般的に自然災害を中心に動員が指定され、州軍の隊員は自州の法律を執行できます。
しかし、一度、州軍の隊員が連邦の業務に召集されると、彼らは連邦軍の一部となり、その結果、彼らの任務は民警団法によって制限されます。
戒厳令中に軍隊は何ができるか?
通常、現役兵は国防に関連した国内の任務のみを行えます。それは対テロリズム、薬物阻止や大量破壊兵器の取引のような事柄を含みます。法執行の役割で業務を行うために軍隊を必要とする状況が存在するなら大統領、または緊急時には地方の軍指揮官によって、文書で承認されなければなりません。
民警団法の下で活動する連邦の兵士は既存の法律を執行ことで民間の警察を支援するために任務を行うことだけに制限されます。事実、軍隊は民間の警察を支援する時に何をしてよいか厳密に著しく制限され、規則が国防総省規則3025.21に定められています。陸軍ドクトリンADP 3-28も民間の権威の国防支援を詳述します。
民間の法執行を支援する連邦軍部隊は連邦軍の指揮下に留まり、常に統制されます。
地方の軍指揮官は、秩序を脅かし、人命や資産の大量な損失を起こしかねない大規模で予測できない民間の暴動の最中に秩序を維持するために連邦の兵士を一時的に派遣する権限も持ちます。
戒厳令に対する制限
戒厳令中の法執行支援は直接と間接の2つの広範囲な分類にはいります。直接支援は法律の執行と違反者との身体的な接触に関わります。間接支援は民間の法執行機関の支援で構成されますが、法執行や違反者との直接の接触はありません。
・間接支援は命の危険がある緊急事態を除いて、ロジスティクス、輸送と訓練支援を含みます。
・直接支援は捜索作戦や犯罪調査、逮捕、追跡と交通整理を行うことを含みます。
第10編(合衆国法典第10編。連邦軍について定める法律)の連邦動員状態にある軍隊のメンバーは、大統領、憲法や法律が特別に承認しない限り、直接の民間の法執行活動に参加できません。軍隊の隊員による武力行使には非常に限定された規則があります。
国防長官の特別な承認なしに民間の権威を支援するために無人航空機(ドローン)を使用したり、兵士が「武装した合衆国の敵を撃退する」必要がある場合以外で投票所でいかなる作戦も行うことを禁じる法律さえ存在します。
今日の米国での戒厳令
政府の行政機関は民間の法執行を支援するために、しばしば軍隊に頼るかもしれませんが、議会と司法機関はこうした活動に難色を示す傾向があり、状況によって、それが起きるのを防ごうとします。実例として、ラズル対ブッシュ裁判(Rasul v. Bush)を見ましょう。
ハワイでの戒厳令実施に関連する1946年の裁判で、最高裁判所は判決で述べました。
「我々の政府システムは完全な軍事政権と正反対であり、建国者たちはこの国の一部となった領域の範囲内で軍事政権を想定したとは思えません」。
いつ連邦や州軍の兵士が戒厳令で活用されるのが適切かについての議論と緊張は終わりそうにありません。
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《コメント》
以上、お読みになって分かるように、米軍は民間社会に影響を与えないように最大限の制度が設けられているのです。1月6日の議事堂襲撃事件はトランプという特異な性格の大統領によって引き起こされました。彼は法律に無頓着です。そもそも、勉強しない人だから、法律なんか知らないのです。こういう大統領により、この政権では軍人が大変な思いをしました。しかも、米軍の軍人は政治的発言をすべて禁止されているため、公に大統領を批判することもできないのです。この結果、統合参謀本部議長のミレー陸軍大将はトランプを信用しなくなり、大統領が軍隊を使ってクーデターを起こそうとするのではないかと本気で心配していました。
日本の歴史を見ると、明治以降、このように民間社会に影響を与えない軍隊を日本は持つことはありませんでした。旧日本軍はこれと真逆で、実は、現在の自衛隊もほとんど変わっていません。自衛官は最も親しい友軍である米軍にこんな規則があること自体知りません。日本国民も似たようなもので、上にならえの傾向が強いので、戒厳令が出ても大きな抗議は起こらないでしょう。近い将来、日本人は簡単に民主主義を捨てて、また全体主義への道を歩き出すのだろうと、私は推測し、危惧しています。改憲議論をみても、あまりにも不注意で、専制的な改憲論しかみえてきません。軍人(侍)同士のクーデターによる政権交代だけで、大衆による民主化運動を経験していない日本人には、何が危険かが分からないのです。
https://www.military.com/history/martial-law-everything-know.html